30年前、町のちいさなお花屋さんに初孫が生まれた。
照れ屋で人見知りでまんまるの顔をした、髪の毛の多い女の子だった。
私である。
私はかつて、お花屋さんの孫娘だった。
メロンパンと軽トラ
保育園に通っていた頃、共働きの両親に代わって毎日私を迎えに来てくれたのは祖父だった。お店を祖母に任せ、花屋の配達の合間をぬって、深みどり色の幌がかかった白い軽トラで、雨の日も風の日も。
帰り道にはメロンパンを買ってもらうのがお決まり。祖母に見つかると「夕飯が入らなくなるでしょ!」と注意されるので、私は不安になって「いいの?」と聞く。寡黙な祖父はいつも笑って、人差し指を口元に当てた。
平日の夕飯は、祖父母の家でご馳走になった。みんなでウスターソースをかけてカレーを食べているその空間は、引き戸一枚隔てて営業中のお店と繋がっていた。
「ごめんください」と声が聞こえると、祖母か、あるいは祖父がすぐに立ち上がって接客をしに行った。ごはんの最中にお客様が見えることも、テレビを見て寛いでいる空間のすぐ向こう側にお店が続いていることも、私にはごく当たり前の日常だった。
夜7時を回ると祖父がお店のシャッターを閉めて、私をまた軽トラに乗せて家まで送り届ける。そして母が帰ってくるのを一緒に待ち、祖父母はようやく帰路につく。
そんな毎日が、小学校に上がるまで続いた。
お花屋さんは、私のもうひとつの家だった。
花束とホワイトボード
小学生になってからは、長期休みの何日かを祖父母の家で過ごした。
朝早く、まだシャッターの開かない暗い店頭で、祖母と曽祖母が並んでお榊を束ねている。祖父は夜の間お花をしまっていた大きな冷蔵室と店頭を行ったり来たり。お花の茎を揃えて葉を取った後は私が床を掃いた。
お寺の納品へ、市場の買い付けへ、祖父はよく私を連れて行ってくれた。人見知りで愛嬌の無い私と無口な祖父は不思議と気が合って、何を話すでもなく一緒に軽トラであちこち回るのが楽しかった。
ピアノの発表会には、いつも祖母が小さな体に抱えきれないほど大きな花束を持ってやってきてくれた。同じ教室の友だちは、その大きな花束を見て無邪気に「いいなぁ」と言った。
そんなとき、私はいつも、お店にかけられた一枚のホワイトボードのことを考えていた。祖母が毎日手書きしている、その日お店に並んだお花の価格表。自分がどんなに立派な花束をもらったのか、ちゃんと理解していた。
私はお花屋さんの孫娘だから。
壁一面の花
祖父が亡くなったのは私が19才の時だった。
最期の時、伝えたい言葉は「おじいちゃんありがとう」の一言だけだった。でもそんなあからさまにお別れめいた言葉、頑張っている人に言えない。もうお別れを確信しています、と伝えてしまうようで言えない。
母はいつも通りの声で「お父さん少し髭伸びてきちゃったねー明日綺麗にしよっかー」と話しかけている。私は涙でうまく声が出せず、かすれた声で何度も「おじいちゃん」と呼びかける。心臓がの波形が止まった時、祖母の「お父さん、」という声が小さく病室に響いた。
物心ついてから、大切な人をうしなうことは初めての経験だった。何が何だか理解できないうちに、告別式はやってきた。
その日、式場に入った瞬間のことを今も覚えている。壁一面を埋め尽くす立派なお花の祭壇。真ん中では、写真の祖父が笑っている。テレビで見る芸能人のお別れの会みたい。その場にいる誰もが、別れの悲しみより先に「立派な祭壇ね」「きれいなお花」と口にした。
私はまた、ホワイトボードのことを考えていた。壁一面のお花、立派な祭壇、とても計算しきれない。お花屋さんの孫娘でも、あんなにたくさんのお花を一度に見たことはない。ずっと堅い表情で涙を見せなかった祖母が、お花を見て微笑んだのが分かった。
この景色を祖父に見せたい、と思った。
ひ孫とお花
それから6年が経ち、私は男の子を出産し、祖母に初めてのひ孫ができた。「まさかひ孫の顔が見られるなんて、長生きはするもんね」と笑う祖母は、一人暮らしを続けて気丈に振る舞っていたけれど、「もういつお迎えが来てもいい」とも口にするようになっていた。
お花屋さんを畳んで、もう10年の時が流れていた。
世の中がこうなる前、祖母を誘って家族で那須旅行に行った時のこと。「大ばぁば!大ばぁば!」と周りを飛び跳ねる息子に「ほら、見てごらん、あすこにお花が咲いてるねえ、綺麗ねえ」と語りかける祖母の表情は、とても柔らかかった。息子はニコニコして「きぇいねえ」とおうむ返しをし、祖母もまた笑った。
ずっと、祖母にとってお花は、祖父の居た暮らしを思い出させるものになってしまったかもしれないと思っていた。思い出すと、寂しい気持ちになってしまうのかもしれないと。
でも久しぶりにお花に囲まれた祖母はやっぱり笑顔で、懐かしい場所に帰ってきたみたいに見えた。その日、家族風呂に浸かった後の部屋で、おなか丸出しでほかほか眠る息子に布団をかけながら、祖母はぽつんとつぶやいた。
「この子が小学生になる姿、頑張って見たいわねえ」
特別なこと
私の幼少期の話をするときは、いつも「商売しながらだからね、あなたには何にも特別なことはしてあげられなかったけど」と言う祖母に、どうしても伝えたい。
仕事をしながら未就学児の世話をするということがどれほど大変か、自分がやってみて初めてわかった。配達の合間に迎えに行くことも、お店の合間に夕飯を支度することも、毎晩私を送り届けた後、母の帰りを一緒に待ってくれたことも。
私が日常と思って受け取っていた日々の全てが“特別な”祖父母の努力の結晶だった。
私が発表会で誰よりも大きな花束をもらってどんなに誇らしかったか。祖父とのお別れを思い出すとき、最期の病室より先に壁一面のお花の光景が浮かぶことで、どんなに勇気づけられたか。
全部全部わかるようになった。全部全部ありがとうと伝えたい。祖父には、伝えることができなかった。
明日地球に隕石が落ちて人類が滅亡すると決まったりでもしない限り、最期のお別れの瞬間に「今までありがとう」と言うことは難しい。伝えたいことは本当にそれだけなのに、その一言が言えない。お別れを認めたことを、本人に知らせられない。
ありがとうの言葉は、日常の連続のなかで伝えていかないといけない。そういう種類の言葉だ。
今年の敬老の日は、息子と一緒にお花を持って祖母に会いに行こう。全部全部ありがとうと伝えよう。
人生の大切な思い出を振り返る時、いつもそこにはお花の映像がある。
私はこれからも、お花屋さんの孫娘だ。
編:小嶋らんだ悠香
今こそ、大切な家族に「全部、全部ありがとう」とお花で伝えよう
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