四十九日まで、
故人は7人の王から
裁きを受ける!?
知恩院僧侶インタビュー
四十九日は、亡くなった人を供養するための大切な期間であり、故人のために心を込めた法要が行われます。でも「どうして49日なの?」「四十九日の法要にはどんな意味があるの?」と不思議に思ったことはありませんか?
そこで今回は、仏教における四十九日の意味や、四十九日の法要が重要である理由などについて、知恩院の僧侶であり、華道家でもある大津憲優さんに詳しく教えていただきました。意味や理由を知ることで、大切な方が亡くなって四十九日法要に際したときの心持ちも変わるはずです。ぜひ読んでみてくださいね。
今回お話してくださった
住職 兼 華道家さん
大津憲優さん
- 浄土宗修練道場・華道講師
- 西雲寺第二十一世住職
- 正念寺第三十八世兼務住職
知恩院の所属寺院に従事する傍ら、都未生流の華道講師としてもご活躍中
四十九日の基礎知識やマナー・タブーに
ついてはこちらで詳しく紹介しています
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人は命を終えると49日で次の生を受ける
――故人にとって、亡くなってから49日間はどんな期間なのですか?
仏教では、「輪廻転生」といって、命あるものは亡くなった後、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の迷いの世界を何度もぐるぐると生まれ変わりながら生きていくと説かれています。
この六道をぐるぐる回っている者の状態を、“四つのある状態”として「四有(しう)」と表現します。
- ➀生有(母体に宿る瞬間)
- ➁本有(生きている期間)
- ③死有(命が終わるとき)
- ④中有(死んでから次の生を受けるまでの期間)
④中有の期間のことを「中陰(ちゅういん)」と呼び、この期間が亡くなってからの49日間に当たります。
「極善極悪に中陰なし」という言葉があるように、非常に善いことをして生きてきた人は命が終わればすぐに浄土へ往生(※)しますし、非常に悪いことをして生きていた人はすぐに地獄へ堕ちます。
際立った善人や悪人は中陰の期間を過ごすことはないのですが、大半の方は善いことも悪いこともさして変わらず行っています。よって命が終わると、この「中陰」に生を受けるのです。
※往生:現世を去って仏の浄土に生まれること。
四十九日法要は故人が浄土へ行けるよう手助けする場
――では、この中陰期間に四十九日法要を行うことには、どんな意味があるのですか?
中国の経典のひとつ『十王経』には、「命あるものは、亡くなると、生前に犯した罪について10人の王の下で裁きを受ける」と記されています。
亡くなった日を1日目とし、それから7日ごと、49日の満中陰(命日から49日目の忌明けの日を迎えたこと)までに7人の王が裁きを行い、満中陰の日に「浄土に行くのか、六道のいずれかに行くのか」が決まるのです。
こうした由来から、7日ごとに開かれる王の裁きの日には、残された私たちで亡くなった人の冥福を祈り、浄土へ行く助けになるようにと、追善回向(ついぜんえこう)の法要を勤めるようになりました。「残された人がこれだけやってくれている、この人は浄土に行くのに相応しい人である」ということですね。
- 追善回向とは
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追善とは、亡き人の為に善い行いを積むこと。回向とは、自分が積んだ功徳を自分のためだけではなく、ほかの人に振り向けること。
つまり追善回向とは、亡き人のために善行を積み、それを亡き人へ振り向け往生を願うことを指します。
ちなみに、満中陰の際に浄土へ行くことができない場合、残りの3人の王による追加の審理が行われます。そのため、残された者は万一のために追善の供養を行い、救いそこないがないように勤めるのです。これが、百日忌 (ひゃくにちき)・一周忌・三回忌に当たります。
――四十九日までの中陰法要を残された者がしっかり勤めることで、故人が浄土に行けるということですか?
そうですね。中陰法要を経て四十九日には皆さん浄土へ行かれているので、残された方も安心していただきたいです。
浄土宗においても、中陰法要を大切にしています。
浄土宗では、命終の後、阿弥陀仏が故人をお迎えにきてくださり、故人はすぐに浄土へ往生する(即徳往生)と考えられています。そのとき、阿弥陀仏は蓮の台に乗ってお迎えに来て下さるので、故人も蓮に乗って浄土へいきます。そして故人は蓮のつぼみの中へ往生し、蓮の花が咲くのを待つのです。
その際、故人はつぼみが開いてようやく初めて浄土の世界を見ることができると考えられているのですが、蓮の花が開く期間は49日間と限られています。よって、「一日でも早く蓮の花が開きますように」という思いを込めて、中陰法要をお勤めしています。
中陰期間中に避けるべきことって?
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四十九日の法要が重要なのは、故人の行き先が決まる日だから
――中陰の最終日にあたる満中陰の日、「四十九日」に行う法要を最重要視するのはなぜですか?
満中陰の日に故人の行き先が決まるからです。死後7日ごとに行われる審判を受けて、49日目に最終判決が下ります。だから四十九日法要には、家族や親族・友人が集まり、故人のために心をこめて供養するんです。
――具体的には何を行いますか?
地域や宗派によって異なりますが、満中陰の法要には白木のお位牌とは別に塗(ぬり)のお位牌(本位牌)を用意し、併せてお位牌の開眼のお勤めをするところが多いと思います。
この開眼のお勤めは、「思いもよらない出来事が突然起きて準備が全くできていなかった、急いで用意した」ことを表す簡素な白木のお位牌から、「これからしっかりと故人をお祀りしていきます」という思いが込められた丁寧な塗のお位牌へと新たにお祀りをするお勤めとなります。
地域によっては、丸餅を円形に7個並べ、計7段になるまで上へ積み上げ、一番上に大きく平らな丸餅を乗せた「傘餅」を用意します。また、中陰ごとに塔婆(とうば)をあげて、満中陰の日にすべての塔婆をお焚き上げする地域もあります。
また、お斎(おとぎ)といって、法要後に参列者で会食を行うことも多いですね。
四十九日に限らず法事というものは、故人の供養であると同時に、法要の場を通して親族が縁の絆を確認する意味合いもあります。お斎(おとぎ)で仏様や故人、親族や友人らがいわゆる「同じ釜の飯を食べる」ことにより、ご縁をより深めることができます。
――満中陰の日に故人の行き先が決まるのであれば、心を込めて行いたいですね。
ええ、まれに「四十九日法要は必ずしないといけませんか?」と聞かれることがあります。わかりやすく例えるならば、お葬式は仏様になる入学式で、四十九日法要は卒業式です。
ですから、四十九日法要は可能な限り行ってほしいです。
塗の本位牌やお仏壇を新しく祀る際の開眼法要、お骨をお墓に納める納骨法要など、今後行うことになる他の法要を、四十九日の日に合わせて行うのがよいと思います。
四十九日法要はどこで行う?
服装や花のマナーは?
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故人への手向だけではない、四十九日に供花を贈る意味
――ところで、四十九日のお供えとしては花が一般的かと思いますが、なぜ花なのでしょうか?
仏教では、供養するものとしてまず花が候補として挙がります。これは須摩提という菩薩が燃燈仏(ねんとうぶつ)という仏に見(まみ)えた際、お供えできるものが何もなくて近くにあった青蓮華(しょうれんげ)を買って供養した、という話に由来しています。
青蓮華とは、青色の蓮の花のことです。
花というものはいつでも私たちの近くにあってお供えしやすいもの、だから何かお供えをするときにはまずは花を、ということですね。四十九日の際にも、ぜひ供花として贈ってあげていただければなと思います。
――四十九日の花はどんなものが適していますか?
四十九日が明けるまでは、白色を基調とした花が適していますね。
――四十九日の花は、どんな思いを込めて花を供えてあげればいいのでしょうか?
四十九日に限らず、お葬式であっても年忌法要であっても、花を供えるという行為は亡くなった方への手向(たむけ)です。その人に伝えたい想い、感謝や追慕など、言葉ではあらわしきれない想いも花だからこそ伝えられるのではないでしょうか。
ただ、メインは亡くなった方ではありますが、花を贈ることによって、「“もう会えない大切な人”と“想いを送る私”が今も繋がっている」ということが、遺族の方にも目に見える形であらわれますよね。
贈られた花を見て、「自分たち以外にも故人をこれだけ想ってくれている人がいるんだ」と、改めて感じることができます。故人へ手向けられた花は、きっと遺族の気持ちも慰め、癒してくれるでしょう。
花を供えるという行為は、人の繋がり・人のご縁を紡ぎ続けていくためのコミュニケーションの一つでもあると私は感じています。
――ちなみに、法要終了後、会場の花を参列者で分けて持ち帰ってもいいでしょうか?
はい、地域によっては当たり前のように参列者にお配りしますし、みなさん喜んで持ち帰られますよ。私自身も参列者側のときは「今日は綺麗な花が飾られて、〇〇さんも喜んではるやろな」と思いながらいただいています。
花を分けていただくことがあれば、ぜひお家で飾ってあげてくださいね。綺麗に咲き誇る花を眺めていると、自然と故人を偲びながら手が合わさると思います。
四十九日のお供え花を贈る
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四十九日のお供え花に関する
「ルールやマナー」を見てみる
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まとめ
四十九日(満中陰)は、亡くなった方の次の行き先が決まる大切な日。その方の冥福を祈り、浄土へいく助けになるよう、心を尽くした供養をしたいものですね。
このほか、四十九日法要の基礎知識やマナーなどについては別記事で詳しくまとめています。ぜひあわせて読んでみてくださいね。
四十九日とは?僧侶に教わる法要の
基礎知識と、服装・花のマナー
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