私は特別な日には、花束が飾られている家で育った。
花束は、私にとって、愛情表現の象徴。
両親の結婚記念日。
その日の昼間は、母は必ず家にいる。
父から届けられる花を待っているからだ。
大きな花束に、小さなメッセージカード。
私が見たら背中が痒くなるような、父から母へのラブレターが添えられている。
毎年毎年、父は母に花を届け続けている。
何年一緒にいても、直接花を渡すのはなんだか恥ずかしいようで、
必ず父は花キューピットを使って母に愛を伝え続けている。
同じ家に住んでいるのにわざわざ花キューピットを使うなんて、不思議な話ではあるがロマンチストで恥ずかしがり屋な、父らしい方法だ。
母は母で、「こんなポエム添えちゃって…」なんて。あきれたような顔でつぶやきながらも、贈られるメッセージカードは、しっかり冷蔵庫に貼ってある。
花はやがて枯れても、冷蔵庫に貼られたメッセージカードは毎年増えていく。
そんな両親を見て、「ちょっと恥ずかしいな」なんて思いながら育った私。
大人になり、結婚した相手が「びぼちゃん」。
なんと彼も、記念日ごとに私に花束を贈ってくれる。
最初のホワイトデーは、折り畳み傘に白い花束。
ちいさく揺れるかすみ草がとっても可愛かったことを覚えている。
思春期の頃には「父のような人とは結婚したくない」なんて思っていた私ですが、
どうやら無意識のうちに、父のような相手を選んでしまっていた。
誕生日、結婚記念日、お祝い事…
幸せな瞬間にいつも花がある家で育った息子も、
いつか誰かに花を贈るのだろうか?
「お花のあるホワイトデーっていいものだな」
と息子が思ってくれたら嬉しいな。
編:小嶋らんだ悠香